ネパール人が好きなものは何ですかと聞かれると答えるのに難しい。なぜかと言うと、ネパール人は多民族の集まりであって、民族によって文化、宗教や家族のあり方はかなり異なる事が多いいからだ。実際、自分の民族の事は良く知っているが隣近所に住んでいる他の民族の事に関してはそれほど良く理解していない場合が多いい。だからネパール人が好きなもの?と聞かれても、そもそもどの民族をネパール人の代表として考えるかに寄ってかなり異なってくる。でも、あえてネパール人が好きなものと特定すると、たぶん”王様”だと思う。そう、ネパール人はどの民族でも基本的に王様が好きなのだ(少なくとも私の周りのネパール人は)。
非常に抑圧的な王制時代もあったので王制に賛成しない人は沢山いるが、王様そのものに関しては必ずしも否定的ではないのだ。何で王様が好きなんだろう? 一つの大きな理由を言うとネパールで王様は神様なのだ。実際王様はヒンドゥー教のビシュヌなどの生まれ変わりと信じられている。ですから王様のいない隣の国インドではネパールの王様(神様)は人気があると言う。
ビレンドラ王の家族 |
色々な民族から王様が愛されている事はネパール人の家を訪ねるとよくわかる。大抵一つや二つ王族の写真が部屋に飾ってあるものだ。ラナ政権の時代に生まれたネワール人のマヤは目を細めて言う「これはビレンドラの家族の写真、本当に良い王様だった...」。ネワール人は言わば被征服民である。ゴルカのプリティビ ナラヤン シャーが1,769年にカトマンズを攻め落とした。先住民の平和を愛するネワール人たちはそれからシャー王朝の冷たい仕打ちに耐える事になる。現在、政府、軍隊、警察職に携わるネワール人が極端に少ないのはその背景にあると考えられている。シャー王朝はネワール人の力を弱めるために様々な特権を奪い抑圧したのである。そのような背景にありながらもネワール人で王様の悪口を言う人はあまりいない、むしろビレンドラ王などはネワール人の間で今でも人気のある王様なのだ。
ビレンドラ王(1,972年即位〜2,001年没)の人気の秘密はその温厚な人柄だった。彼は臣民を怖がらせる事などしない近づきやすい人だったそうだ。彼は臣民の生活の様子を実際の目で見るためにネパール中をくまなく文字通り徒歩で歩いたと言われている。「ビレンドラは臣民の気持ちを分かる人」「人を高める王だった」と友人のラメシュは説明してくれた。ヒマラヤの麓の村々や、タライのジャングルの村々をビレンドラは訪問した。一国の王が地元の農民達と和やかに会話を楽しむ様子を想像するだけで驚きだ。実際にその機会に恵まれた人にとって忘れられない記憶になったと思う。
2,001年6月の王族殺害事件でビレンドラは亡くなった。民主化運動によって2,006年4月には事実上王制そのものが廃止される。王制廃止に大きな役割を果たしたマオイスト(毛沢東主義派)も先週二つに分裂した。ネパールの将来はますます分からなくなって来ている。
実のところ、ビレンドラは目立った指導力を発揮した人物ではない。むしろ彼の即位中ネパールは依然として汚職と貧困に悩まされ続けた。でも、人柄で人々の心をがっちり掴むことに彼は成功した。ネパール人が王様に愛着を感じるように成るためにかなり貢献した事は否定できない事実なのだ。
埃をかぶって色あせてもビレンドラ王家の写真は今でもネパール人の家にひっそりと飾ってあります。
古き良き時代の記憶は混沌とした今を我慢する力になっているのかもしれませんね。
ビレンドラ家の写真は今でも文房具屋で30ルピーくらいで買えますよ。興味のある方は一枚どうぞ。