2011年1月28日金曜日

ネパールの迷信



絡み合うように交わる電線


民族、カースト、宗教が複雑に絡み合うネパール。それに加えて迷信も人々の日常に深く絡んできます。


「口では迷信を信じていないと言っても、心の中では気にしながら生きているんだよ」とネパール人の友人が言っていた。


たとえば、黒猫が道を横切るとその日は台無しになる。黒猫が道を渡ったら、他の人が来るのを待って、悪い運を先に通った人に持って行ってもらうそうな。

ちなみに私は未だネパールで黒猫を見た事が無い。黒い犬はたくさん見るけど。

部屋の中で口笛を吹くと悪い神様が来てしまうと言う迷信もある。ジャンクリと言われる祈祷師は病気になってしまった人の悪を取り除くのに口笛を吹いて他の悪い神様を呼び、闘わせるそうです。

他にも、


夜に電灯のついた部屋でほうきを使って掃くと神様(お金の女神ラクシミ)が出て行ってしまう。



私がおもしろいと思ったのは、
自分の家を出てすぐに空の水瓶を持った人に会うと、その日一日の仕事が台無しになると言う迷信です。

逆に水がいっぱい入った水瓶を持った人に会うとどうなると信じていると思いますか?

2011年1月18日火曜日

ヘルメットとネパールの微妙な関係

良くある風景


マオイストがジャングルで活動していた頃は(1996~2006年)、政情が不安定で法律がしょっちゅう変わったそうです。

例えばバイクのヘルメットのかぶりかた。

 現在ネパールではバイクに乗る際、運転手はヘルメットをかぶる義務はあるが、後ろの人はかぶらなくて良いそうです。しかし、以前は後ろの人もかぶる義務があったらしい。その辺を地元の人に突き詰めて質問していくと。

「いつから、どうしてかぶるようになったり、ならなかったりしたか良く覚えていない、あの頃はしょっちゅう法律が変わったからね….」

という答えが返ってくるのが一般的である。

後ろの人がかぶらなくなった理由は色々な説があり、どれが正しいかよくわからないが、少なくともネパールらしさがあって興味深いと思う。


その理由は.....








2011年1月2日日曜日

ついに動き出した2011ネパール観光年

”華麗なる神秘の国ネパールへようこそ”



ネパール観光年 やっと動き出しました。

昨年末、そして元日の新聞で色々発表されたことを簡単に書くと。

1月14日にカトマンズで観光年の除幕式が開かれます。UN World Tourism Organisation (UNWTO),SAARC(南アジア地域協力連合、バングラデッシュ、ブータン、インド、スリランカ、モルジブ、パキスタン、ネパールの計7カ国)、アジア24カ国の観光省から代表者が招待されていて、2万8000人がこの式典に出席するようです。

1月11日にはSAARCの代表者が到着。



何をするのかと言うと….

これから色々話し合うようです。観光年が始まってから話し合いを始めるって何ともネパールらしい動きがとてもおもしろいと思う。



「今から話し合うのですかあ?」 

「そうですよ。ここはネパール、電気も無いし、水も無いし、憲法もできてないからしょうがないでしょ」と言う返事が平気で返ってきそうなので、あえてネパール人の友人たちには聞いていません。それに、私の周りの友人たちは観光年があること事態興味ないらしい。

それで、
話し合うことは? と言うと。

観光年を成功させるための障害について。
市場の拡大可能性について。
ビザ規制の緩和。
国境を通過できる運転免許書の可能性。
SAARC関係国からネパールへの航空輸送の増加。
他。

などなど

土壇場でバタバタ動き出しましたね。ネパール人は土壇場に強い!(と思う)ので何かやってくれると期待しています。



これまで分かっていることは。

中国人は最初の観光ビザが無料になる(らしい、イミグレの情報に寄ると)。

バクタブルの入場料が高くなる。SAARCと中国人は100ルピー(以前は50ルピー)、他の国は1,100ルピー(昨年までは750ルピーでした)。バクタブル自治体は1994年以来この入場料で毎年8千万ルピー(9千万円)の歳入があったそうです。(これだけの収入があるのになんでバクタブルには十分な公衆トイレが無いのでしょうかねえ?)

バイクのラリーを開催(主要政党支援) 約300人の参加者が朝8時にタンコットを出発ナガルコットまで疾走する。ルートはまだはっきり決まっていない模様、カトマンズ市内の各地から「是非、うちを通ってください!」とのオファーがあるそうだ。


そして、このラリーで達成したいことは、