2011年10月2日日曜日

草の匂いの洗濯物




  私の好きな場所にドォビチョールと呼ばれる場所がある。洗濯屋が集まって出来ているちょっとした一角なのですが、風にゆっくりなびくシーツやタオルの合間をぬいながら歩くのが何気におもしろく、遠回りになってもわざわざ通ってしまう事がある。

 ドォビ(洗濯人の意味)は元々ネワール人のカーストの一つのようだが今はネワール人に限らずその職種についている。
 彼らのチームワークにはいつも感心させられる。洗い場はちょっとした車庫のような場所だったり、玄関横の狭い石畳の上だったりするのですが、大量の洗濯物をせっせと手際よくこなして行くのだ。洗われた洗濯物は外のロープや屋上に次々とかけられていく。 





2011年5月29日日曜日

僕の家は一父多母なんだ…??



(ブログの内容とは関係がありません)
         
近所のおじさんが、「俺はもうそろそろもう一人新しい嫁さんをもらおうと思っているんだ….」と言っていた。

ここネパールでは法律上では一夫一婦制だが、実際には一夫多妻が今でも行われている国である。
同じ家に母親(妻)が複数いるのだ。母親の異なる兄弟、姉妹が混じって生活している。

母親ごとに違う場所に住んでいる場合も有る。村に妻と子供、カトマンズに妻とその子供などとかなり離れているところに家庭を複数持つ事もある。

さて、何でたくさん妻を持つことになったのだろう。その理由は例えば次の通りである。

2011年4月23日土曜日

ネパール観光年記念切手



ネパール観光年の記念切手がやっと発行されました。2種類の切手で一つは5ルピーでネパールの地図を背景に国旗と2011観光年のロゴが入っています。もう一つは2ルピーの”健康のためにいつも手を清潔に”と書いてあります。左下には石鹸と水で手を洗う習慣をつけましょうとも書かれています。




カトマンズなどの都会では下水や浄化槽の設備がしっかり行き届いていませんので、汚染された水や不衛生なものに接触する機会が多くあります。伝染病を防ぐのに石鹸での手洗いは強力な防御策になるのですね。

通常ネパール人の家庭のトイレには紙はありません。そのかわり水の入った瓶とマグと言われる水差しみたいなものがあります。つまり、衛生管理はその水と自分の左手にかかっているのです。トイレが終わった後、手を石鹸で洗う事が奨励されているのもうなずけますね。

2つ目の切手の写真では真鍮の水差しが使われているのがネパールらしくて素敵だと思います。現物の切手では”石鹸と水で手を洗いましょう”と言う文字がとても小さくて見にくいのがちょっと残念でした。

2011年4月1日金曜日

ネパール人は日本人のことどう思っているのですか?


日向ぼっこ


日本人に対するネパール人の印象は大抵とても良いと思う。ネパール人にとって日本人は欧米人よりももっと近い外人なのだ。

日本(人)の印象は?と聞くと。

まじめで礼儀が正しい。
謙虚で勤勉。
進んだ技術を持っている。
お金持ち。
 

日本人に聞きたい事は?

日本はどのように発展したのですか?
日本人の給料はいくらですか?
日本人はなぜ歯並びが悪いのですか?
日本人の家庭では旦那が稼いで、お金を全部奥さんに預けるのですか?


国が違うと文化も考えも変わってきますね。違いを興味深いと受け止めることも、不可解と受け止める事もできますが、私の友人のネパール人で日本人についてどうしても理解できない(不可解)と言うのはこんな事です。

日本人は結婚すると親元を離れる。

もちろんすべての日本の家庭に当てはまりませんが、結婚すると親元を離れて自分たちの新しい家族を作ると言うのが一般的になってきていると思います。しかし、多くのネパール人に取ってこの考えは納得できない(受け入れられない)ようです。

2011年3月9日水曜日

ネパールの悩み(停電)


停電中の夕食準備

停電で病院の電灯が使えず携帯電話のミニ懐中電灯で出産をしたと報道された。

ネパールは先月から一日14時間の停電である。おおざっぱに言うと、5時間電気が来てその後7時間停電になる事を繰り返すのだ。ネパールでは現在(乾期)一日915MWの電気量が必要だが、実際、390MWしか生産できないらしい。

停電だと困る事がたくさんある。例えば、機械を使う工場は生産に支障をきたし、閉鎖を余儀なくされる。ビールガンジでは大手の石鹸会社など含む60の工場が閉鎖に追いやられ20,000人の人が失業した。

日常生活も電気がいつ来るかにかなり振り回される生活になる、電気が来る夜中に洗濯機をまわしたり、屋上タンクに水をあげるポンプをまわしたりする。フォトコピーをしにお店に行っても電気が無いのでコピーマシンが動かない。新しいエスプレッソマシンを導入したカフェに行っても電気が無いからと断られる。

2011年2月18日金曜日

忙しい子供たち


リキシャで学校に向かう子供たち

16歳のレベッカが言っていた。「学校ってストレス!すっごいたくさん勉強しなきゃいけないんだ」。ネパールの子供たち、文明から閉ざされたアジアの片隅の国でたくましく、そして、無邪気にのびのび生きているイメージですか? そのイメージ必ずしも外れているとは思いませんが、この国の子供たちも例外でなく若者特有の悩みとプレッシャーにさらされているようです。

ネパールには最初10年の学校、そしてプラス2と呼ばれる高校レベルの教育、そしてその上に大学教育が有ります。カトマンズなどの都市では10年+2年合計12年の教育を受けることがいわゆる常識のように受け止められています。求人広告でも最低12年の教育を終了している事が必要条件に揚げられている事が多いいです。

学校に行く前にプレイグループ、ナーサリー、LKG(Lower kindergarten),UKG(Upper kindergarten),いわゆる保育園、幼稚園のような所に子供たちは行きます。その後、基本的に6歳から入校できますが、成績の良い子供は4歳からでも学校に入れます。


2011年2月7日月曜日

通せんぼうで大解決!




バンダを語らずにネパールを語る事ができないと思う。

バンダとはネパール語で閉めると言う意味。道を閉めて交通止めにするのだ。

交通止めにしてどうするの?

単純に言うと、交通止めにすると要求が通ってしまうのです。

ますます、分け分かりませんね。でもその分け分からない事が通用してしまうのがネパールなのです。

つまり、

通行止めにする → 迷惑、不便 → みんなが怒る(騒ぎだす) → 何で通行止めにしているのかと疑問に思う → 通行止めにした人が理由を説明するチャンスを得る → 通行止めした人の要求が呑まれる → 通行止め解除

典型的なバンダの流れを簡単に説明すると上記のようになる。

ストライキみたいなものです。

法整備や行政がはっきりしていないので、弱者の声がなかなか反映されない。そのため自分の境遇を世間にそして権威にぶつけるのに用いる効果的な手段なのである。

たとえば、村の真ん中を通っているハイウェイを疾走する長距離バスに村の子供がひき逃げされたする。警察に行っても、取り合ってくれない、あるいは警察にその力が無いと、なす術も無く泣き寝入りになるのが一般的な着地点である。でも”バンダ”と言う強い味方があるのだ。村の人々を集めてハイウェイにタイヤを積んだり、トラックでブロックすればたちまち交通マヒになる。つまり上記の2番目の段階、”迷惑、不便”が生じるのだ。

迷惑と言っても”かなり”の迷惑に発展するのがネパール。 なぜ?


2011年1月28日金曜日

ネパールの迷信



絡み合うように交わる電線


民族、カースト、宗教が複雑に絡み合うネパール。それに加えて迷信も人々の日常に深く絡んできます。


「口では迷信を信じていないと言っても、心の中では気にしながら生きているんだよ」とネパール人の友人が言っていた。


たとえば、黒猫が道を横切るとその日は台無しになる。黒猫が道を渡ったら、他の人が来るのを待って、悪い運を先に通った人に持って行ってもらうそうな。

ちなみに私は未だネパールで黒猫を見た事が無い。黒い犬はたくさん見るけど。

部屋の中で口笛を吹くと悪い神様が来てしまうと言う迷信もある。ジャンクリと言われる祈祷師は病気になってしまった人の悪を取り除くのに口笛を吹いて他の悪い神様を呼び、闘わせるそうです。

他にも、


夜に電灯のついた部屋でほうきを使って掃くと神様(お金の女神ラクシミ)が出て行ってしまう。



私がおもしろいと思ったのは、
自分の家を出てすぐに空の水瓶を持った人に会うと、その日一日の仕事が台無しになると言う迷信です。

逆に水がいっぱい入った水瓶を持った人に会うとどうなると信じていると思いますか?

2011年1月18日火曜日

ヘルメットとネパールの微妙な関係

良くある風景


マオイストがジャングルで活動していた頃は(1996~2006年)、政情が不安定で法律がしょっちゅう変わったそうです。

例えばバイクのヘルメットのかぶりかた。

 現在ネパールではバイクに乗る際、運転手はヘルメットをかぶる義務はあるが、後ろの人はかぶらなくて良いそうです。しかし、以前は後ろの人もかぶる義務があったらしい。その辺を地元の人に突き詰めて質問していくと。

「いつから、どうしてかぶるようになったり、ならなかったりしたか良く覚えていない、あの頃はしょっちゅう法律が変わったからね….」

という答えが返ってくるのが一般的である。

後ろの人がかぶらなくなった理由は色々な説があり、どれが正しいかよくわからないが、少なくともネパールらしさがあって興味深いと思う。


その理由は.....








2011年1月2日日曜日

ついに動き出した2011ネパール観光年

”華麗なる神秘の国ネパールへようこそ”



ネパール観光年 やっと動き出しました。

昨年末、そして元日の新聞で色々発表されたことを簡単に書くと。

1月14日にカトマンズで観光年の除幕式が開かれます。UN World Tourism Organisation (UNWTO),SAARC(南アジア地域協力連合、バングラデッシュ、ブータン、インド、スリランカ、モルジブ、パキスタン、ネパールの計7カ国)、アジア24カ国の観光省から代表者が招待されていて、2万8000人がこの式典に出席するようです。

1月11日にはSAARCの代表者が到着。



何をするのかと言うと….

これから色々話し合うようです。観光年が始まってから話し合いを始めるって何ともネパールらしい動きがとてもおもしろいと思う。



「今から話し合うのですかあ?」 

「そうですよ。ここはネパール、電気も無いし、水も無いし、憲法もできてないからしょうがないでしょ」と言う返事が平気で返ってきそうなので、あえてネパール人の友人たちには聞いていません。それに、私の周りの友人たちは観光年があること事態興味ないらしい。

それで、
話し合うことは? と言うと。

観光年を成功させるための障害について。
市場の拡大可能性について。
ビザ規制の緩和。
国境を通過できる運転免許書の可能性。
SAARC関係国からネパールへの航空輸送の増加。
他。

などなど

土壇場でバタバタ動き出しましたね。ネパール人は土壇場に強い!(と思う)ので何かやってくれると期待しています。



これまで分かっていることは。

中国人は最初の観光ビザが無料になる(らしい、イミグレの情報に寄ると)。

バクタブルの入場料が高くなる。SAARCと中国人は100ルピー(以前は50ルピー)、他の国は1,100ルピー(昨年までは750ルピーでした)。バクタブル自治体は1994年以来この入場料で毎年8千万ルピー(9千万円)の歳入があったそうです。(これだけの収入があるのになんでバクタブルには十分な公衆トイレが無いのでしょうかねえ?)

バイクのラリーを開催(主要政党支援) 約300人の参加者が朝8時にタンコットを出発ナガルコットまで疾走する。ルートはまだはっきり決まっていない模様、カトマンズ市内の各地から「是非、うちを通ってください!」とのオファーがあるそうだ。


そして、このラリーで達成したいことは、